特集13 沖野和賀子さん

環境と文化の関わりをもう一度見直そう

地域によって違う環境意識

今日は10年前から高知県の海、川、山、森の環境を守るため、山嶺から柏島まで県内あちこちで環境問題に取り組んでいる「土と木から学ぶ和のくらし」主宰・沖野和賀子さんにお話をうかがいました。

沖野さんのご主人は大工の棟梁さん。ご夫婦で環境活動に力を入れていらっしゃいます。他にも「沖野建築 伝統工法を学ぶ会 84大工の会」「NPO 牧野の森 物部川21世紀森と水の会」「NPO法人 松崎武彦高知エコ基金」「木ごころ会 キュバらん会(身土不二研究会)」「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」で活動されています。

三里地区の環境問題

私は三里地区という桂浜から東に行った海岸の近くに住んでいるんですが、三里地区という場所にはね、高知市のゴミがほとんど集まって来ているんです。ゴミの最終処分場があり、プラスチックの原料工場があり、その前は医療廃棄物の施設も全部三里に来ていましたよ。

昭和51年の集中豪雨のときは、浸水被害で出たゴミなんかも全部三里の海岸に埋められました。当時、三里小学校には橋本先生という校長先生がいて、これだけゴミが集まってくるなら、自分たちもゴミのことをもっと考えようということで、12年前から女子大で「三里まつり」を開催して、そこで地域興しをやっていました。

柏島で驚いたゴミの感覚

環境問題への取り組みの一環では、まだトンネルのない時代、当時の柏島によくゴミの分別に通いました。台風が来たときなどに、漂着ゴミがどーんと柏島の浜に漂着するんですけど、そのゴミの分別に出かけていたものでしたよ。

その当時、島の住人の方が
「台風が来たら、自分の家のゴミを全部海に流している」
と悪びれずに言うので、びっくりした覚えがあります。
「流れてくるゴミは、他の場所から来るゴミなのだから、自分たちもゴミを流したら他に行くから分別なんかしなくてもよい」というんですよ(笑)。
でも、驚いたと同時に、考えさせられました。やはり出すゴミのレベルや、環境への関心度は地域によってものすごく差があるんですよね。

もちろん、当時の柏島の人が海に流したゴミの中には、自然にかえるゴミもあったでしょうけれど、やはりそうじゃない化学的なゴミもありますものね。それで「これは何とか対策をしなくちゃいかん」ということで、私は当時、内田洋子さんや安部順子さんたちと「くらしをみつめる会」などの活動もしており、グリーンコンシューマーの活動で各地のスーパーを回ったりもしていたのですが、「環境問題は、まず子どもから教えないと、これはいかんろうねぇ」という結論に達して、それからはずっと子どもたちに啓発運動をしてきました。

ものを大切に使う文化への回帰を

 私はこの会議室に来てふと思ったんですが、この部屋ってね、私にとってはとっても居心地が悪いんです。なぜかと言ったら、この部屋にあるものはすべて石油製品でできているからなんですよね。

日本はやはり木の文化であって、湿度の多い気候風土に合わせた木を使い、木をすごく大事にしてきた民族なんですよ。かつて「もったいない」という文化があったように、良いものを修理して長く使う文化だったはずなのに、いつの間にか大量生産、大量消費、大量廃棄の時代になって、百円ショップがたくさんできて、「買った方が安いから棄てる」という文化に変化してしまいました。

でも、これからは少し視点を変えて、「いいものを修理しながら長く使おう」という意識に再び戻していかなきゃいけないと思うんですよね。

そうするためには、そこにやはり職人さんの技術が必要になるんですよね。格差社会で雇用も大変な時代です。仕事は安い請負で全部外国に行ってしまうばかりで職人さんがどんどんやめていくでしょう。でも、そうではなくて、そういった意味では職人さんが育っていくような日本文化、そういった国にもう一度しなきゃいけないと思うんですよ。
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